金龍寺(糸島)

平安前期の天慶4年(941)の乱で、大宰府を焼き討ちするなどして暴れまわった藤原純友を博多津に追討した大蔵春実一門の名族と言う誇り高い原田氏は、中世末の天正15年(1587)原田信種(原田了栄隆種の二男種吉の子)のとき、秀吉の九州征伐で敗れ、小早川隆景に降伏。秀吉から助命はされたが、領地の全てを没収されました。信種は筑後国にわずか三百石を与えられただけで、庇護の佐々成政の与力となった。後成政の失脚後は、肥後の加藤清正に仕えた。



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金龍寺参道