原田種夫歌碑

『思い出の記』
ここに、昭和9年4月、白亜2階建て相ガラス張 りの茶房『ブラジレイロ』が開店した。
階下中央に広い噴水があり、マーブルまがいの円卓 と、真紅レザー張りの椅子が程よく並んでいた。
ここで博多人は珈琲の旨さを知った。わたしも連日 通ったが、いつしか店は、若き我ら文学仲間の憩い の場となった。
ここで、昭和16年3月15日夕べ、間に合うよ う西下された北原白秋先生ご一家を迎えて、わたし の処女小説集『風塵』の出版記念会が開かれた。 先生は、私と妻を、にこやかに祝福して下さった。
その翌々日、17日『海道東征』(交声詩曲) によって『福岡日日新聞文化賞』(現在の西日本文 化賞)を受賞。式後、柳川で海道東征記念多磨柳川 大会、のち日向、豊後各地を巡歴された。
哀しい哉 これが、先生最後の九州入りとなった。
私達の第2期『九州文学』は、ここに文学仲 間が会合し文学を論じ合った。その熱っぽい文学的 雰囲気の中から派生したものだ。。昭和13年6月、 福岡日々新聞社(西日本新聞社の前身)の学芸部長 黒田静男氏は、硝煙の匂い漂う時代を踏まえ、わ たしと、山田牙城の『九州芸術』秋山六郎兵衛、林 逸馬らの『九州文学』矢野朗らの『文学会議』火野 葦平、岩下俊作、劉寒吉らの『とらんしっと』4誌 の大同団結を実に熱心に提唱された。
迂余曲折を経て大同団結成り、同年9月、第2期 『九州文学』が出た。以来、戦時中は強権の弾圧に 屈せず、苦難の道を辿り、いちおう九州の文学拠 点、文学道場の役割を果たしたとして昭和58年極 月休刊号を出して45年の歴史を閉じた。わたし は、ブラジレイロを『九州文学』の原郷(ルーツ)と 考える。店は強制疎開になった。

現在の『ブラジレイロ』の所在地 福岡市博多区店屋町1-20

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現在の『ブラジレイロ』

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